本物は目立たない

21世紀からは本物しか生き残れない。
本物とはどのようなことか。
弊社の想いは本物とは「清く・正しく・美しく」に適合するもの
またはその方向にベクトルが向いているものである。
よく神道の世界でも言われるが「有名になった神社には神様は宿っていない」。
神社が観光化して商売を目的とするようになり、本来の役目から外れ利益追求型神社へと
変わっていくのである。
それに対して、田舎の小さな無名の神社には本当の神仏が宿っていると言われる。
本来、何事も謙虚でなければならない。
また寄付をするという行為を考えた場合でも言える。
よく寄付された品物に寄付者の名前が記されている。
寄付という行為は、一種の徳分であり、隠徳が基本ではないかと考える。
もし、寄付したその品物に名前を明記すると、多くの人も目に通り寄付者の宣伝となってしまう。
この時点で、寄付という行為は、宣伝という行為になり、徳分はなくなってします。
その点、よく言われる隠徳ということで無名の寄付がある。
これは誠に目立たないものであり、本物の域のあるように思われる。

話は変わるが、これを我々ISOのコンサルテントの立場で考えてみよう。
コンサルタント会社には50人〜100人と、多くのコンサルタントを雇た会社もあれば、
2〜3人の少数の人数で、あまり目立たなく行っている会社がある。
たくさんのコンサルテントを有する会社はたくさんのお客様への営業活動を行い、
組織力を生かしたコンサルティングを行っている。
たとえばある業種の企業があった場合、会社規模(人数、場所・・・)業種・経営資源等を考え、
類似の企業のシステムを参考として、コンサルティングをおこなっていくものである。

それに比べ、組織の小さな2〜3人のコンサルテントでは、あまり参考にするシステムも利用できないため、
その企業独自のシステムを基礎から構築していかなければならないこととなってくる。

この両者を比較した場合、前者はあまり悩まなく容易にシステムの構築ができるが、あまりよく考えてない
弊害として、何年か後に自社とのシステムに対する矛盾が生じてくる可能性がある。
それと比較して後者はそれなりに苦労を伴うが、自社のオリジナル性が強いため、
認証後の活動にはあまり矛盾が生じてこないことが言える。
尚、これはあくまでも一般論でありその逆の場合も十分考えられるが。

さてここで、皆さんはどちらを選ぶかである。
目先のことを考えれば、前者。
長い目で見た場合後者ではないかと思われる。
この両社を比較した場合、「清く・正しく・美しく」のベクトルはどちらが合致しているかである。

本物は目立たない存在である。